高崎神社(群馬県高崎市)
こんにちは、こんばんは、神社参拝 記事です。
髙﨑神社
群馬県高崎市の神社です。
ご利益は、縁結びです。
高崎駅から歩いてもいけます。
15分くらいで到着
群馬県高崎市赤坂町94
晴れた天気の良い日
由緒
1243年(寛元元年)、当時の和田城主・和田小太郎正信が、相模国三浦郡の熊野権現(熊野の神)を城内に勧請(分霊を他の神社に移すこと)し、「熊野神社」としたのがはじまりとされています。その後慶長3年(1598年)井伊直政が和田城の跡に高崎城を築城する際、この熊野神社を現在の地に遷座し、高崎総鎮守としました。1907年(明治40年)以降、境内末社12社と高崎市内の36社を合併し「髙﨑神社」と改称されました。
房総半島 ちょこっと弁財天様
こんにちわ、こんばんは、今日、2023年4月29日は、巳の日です。
千葉県房総半島、最南端の弁財天様神社へ参拝してきました。
1.御染弁財天
布良海岸近くの漁港の近くの崖にあります。
この弁財天様は、昔、この近辺の海女さんの守り神として祀られています。
車で行くと細い道でUターンしずらいので注意してくださいね。
2.渚弁財天
国道道路沿いにあり、海と道路の間の鎮座してます。
水難除け、海女さん守護など祈願するため祀られています。
3厳島神社(野島弁財天)
ここが千葉県最南端、弁財天様です。
野島崎灯台と同じ所に鎮座しております。
東映オープニング、波が岩にあたる様子を撮った場所でも有名です。
1776年、広島の厳島神社からの御分霊を奉斎しました。
七福神1体足りない、弁財天様は、別格。
寿老人、大黒天、恵比寿、布袋、福禄寿、毘沙門天(だと思う。)最後がお岩ですよ。
弁財天様は、別格とみなしましょう。
水天宮(日本橋)
こんにちは、こんばんは、神社参拝 記事です。
安産で有名な神社ですね。
この神社には、弁財天様も祀られています。
本殿の前の紅社がそれです。
東京都中央区日本橋蛎殻町
日本橋水天宮(にほんばしすいてんぐう)は、東京都中央区にある神社で、江戸時代には「水天宮」と呼ばれ、商売繁盛や家内安全、厄除け、交通安全などの神様を祀る神社として栄えました。
z創建は平安時代にさかのぼり、藤原秀郷が、下総国葛飾郡栗山(現在の千葉県流山市)にあった水天宮をこの場所に移したとされています。江戸時代になると、商人たちが多く参拝するようになり、商売繁盛を祈願する神社として有名になりました。
境内には、大きな鳥居があり、参道を進むと、本殿や拝殿、幣殿、社務所などが建ち並んでいます。また、池や橋、石灯籠などが美しく整備されており、静かで落ち着いた雰囲気が漂います。
水天宮の祭りとしては、「十日戎」と呼ばれる1月10日に行われる厄除けの祭りや、9月の「秋季大祭」などが有名です。特に、「十日戎」は、商売繁盛にご利益があるとされ、多くの人が参拝に訪れます。
日本橋水天宮は、都心にありながら、古き良き日本の文化や風習を感じさせる神社で、多くの人々に親しまれています。
小網神社(日本橋)
こんにちは、こんばんは、神社参拝 記事です。
本日は、運気の良い日です。
多くの皆さんご存知のパワースポット神社 小網神社
日本東京都中央区日本橋小網町 小網神社
本日、2023年4月12日 一粒万倍日 大安
一粒万倍日とは、『一粒の籾(もみ)をまけば、万倍の籾を持った稲穂になる』意味
大きく発展させたい事を始めるのに適した日です。
自分のほとんどの写真は、運気の良い日に参拝してます。
※良日参拝は、かなり混んでます。1時間くらい並びました。
2023年 1月 睦月 3月 弥生
御由緒
武蔵国豊島郡入江のあたりに萬福庵という観世音と弁財天とを安置する庵がありました。この庵は恵心僧都の開基で、観世音と弁財天も僧都の作と伝えられています。開基の年代は明らかではありませんが、恵心僧都の歴史を考えれば、今からおよそ一千年前ということになります。
文正元年(西暦1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々は困り果てていました。そんななか、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごしました。ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅することを告げます。 夜が明け、網師翁の姿は庵にはありませんでしたが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願をつづけました。すると間もなく村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したといわれています。
領主・太田持資公(道灌)も、この御神徳を聞き、折に触れて、当神社を詣でました。そして土地を寄附し、小網山稲荷院萬福寿寺と名づけたと伝えられています。慶長年間(西暦1596~1615年)には、これらにちなみ周辺地域が小網町と名づけられ、当神社を氏神と崇めました。
明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離、小網稲荷神社として明治6年7月5日、村社に指定されました。現社殿・神楽殿は、大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門により、昭和4年に造営されました。その後の戦禍を免れ、現在は日本橋地区に残されている唯一の戦前の木造神社建築となっています。特に、向拝に施された「昇り龍」と「降り龍」の彫刻は見事なもので、「強運厄除の龍」として拝されています。戦後の宗教法人化に伴い、名称は「小網神社」となりました。社殿・神楽 殿などは現在、中央区の文化財に登録されています。
HPより
HP
https://www.koamijinja.or.jp/index.html
皆様に御利益がありますように
金運寺 長福寿寺(千葉県)
こんにちは、こんばんは、お寺訪問 記事です。
金運パワースポット 長福寿寺
千葉県長生郡長南町長南 長福寿寺
有名な金運パワースポット
都心から車で、2時間 山の中のお寺
幸福を呼ぶ吉ぞう2頭がお出迎え
2022年 8月 葉月
御由緒
440年前 室町時代の末の頃、
当時の長福寿寺、豪仙學頭18歳 僧正がある時
早朝より護摩修行をしていると、火炎の中に一頭の象が舞い降りてきました。
象は古来より仏さまのお使いとされ、願い事を叶えてくれるといわれています。
火炎の中から吉象が告げます。
「私は人々を幸せにする為にやってきた。
私の足をさすれば必ず幸せになれる。そのことを多くの人々に伝えよ。
そなた自身にも絶大なる力を授けよう。」
これより豪仙學頭は、人々の願いを叶える象「吉ゾウ」を知らしめ、数えられないくらい多くの人々を幸せに導いたのです。
HP
皆様に御利益がありますように